心斎橋に来てます。
いや、特に理由もありませんが、、
そういえば、「武士道の逆襲」菅野先生 を読んでみたらどうかと薦められていた。
昔、菅野先生の講演を聞いて、大変感銘を受けたことがあるので、紹介する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E9%87%8E%E8%A6%9A%E6%98%8E
ついでに「オーシャンズ13」OCEAN'S 13を見ました。
「武士道の逆襲」「オーシャンズ13」
こんなかけ離れたかのように見える作品を、リンク。
技術が高ければ、大きなことをできる。
技術が低ければ、できることは小さなこと。
で、そこから得られる幸せは?
人は、自分に掛かる負荷をもって、楽しいのか辛いのかを判断する。
負荷が相応しければ、何でも幸せだ。
菅野先生の言葉に「文武両道」を正しく詠ったものがある。
武とは生きる術。別に運動面を言ってるわけじゃない。技術があり、食っていけるかどうか。
文とは感受性。別に勉学を言っているわけじゃない。
素晴らしく日本人が誤解していて、確信をついた言葉である。
多くの人間が見失っているもの。それは文だと思う。
技術を高めて、大きなことを成しているだけでは、その負荷を評価できない。感動しない。
褒められなければ自分を見失う。
小さい頃の自分に同じ。
あ、、いや今でもか笑
しかし、自分を、すべてを正しく評価できる文があったならば、、
どこまでも孤高に、どこまでも幸せに技術を磨いていくことができるだろう。
笑。
この映画でこんなこと考えるのは、自分だけかなぁ。
やっぱり変人であります♪
●文の教育●
文とは、色々な言葉で表現されている。
感性、人生観、ユーモア。
生きるということだけ考えれば、2次的な産物であり、軽視されがち。
学校で習うのは、狭義の文武両道。すなわち、勉強とスポーツができること。
よく生きるためには、その足場を固めた後、菅野先生の言う「文」が必要だ。
感受性や人徳を高めることである。
●バランス棒と台●
人生には絶望があり、安定できればそれでいいじゃないかって思う。
人間追い込まれたら、誰でも動物になる。自分を捨て、全てを捨て、助かりたいと思う。
そこから抜け出すために、武を尊び、自分に価値を求めた。
そして成功した。(本当に?日本に生まれたからじゃなくて?)
まぁ何はともあれ、這い出れただけでも幸せなんじゃないか?
今のままでいいじゃんか。
でも知っている。
安定とは凄く安定していないこと。
安定とは釣り合いの上に成るもの。
バランスをとる事を忘れれば、傾く。
止まれば堕ちていく。
一歩前に出たら、誰かが一歩落ちる。
自分が頑張って今日美味しいご飯を食べれたら、きっと誰かが餓死している。
自分が成功したら誰かが泣く。
だから、みんな必死に走る。
だから、みんないつも不安。
まるでバランス棒だね。
でも忘れがちな、もっともっと大切なことがある。
走っているうちに忘れてしまう。
でも誰かがやらねばならない大切なこと。
バランスは台の上でとっている。
社会という名の見えない台。
誰かが整備しなくては、傾ききって台も壊れる。
重すぎる荷物にバランス棒も折れてしまうかも知れない。
恵まれた者の堕落は、全てを闇にさせる。
前に出たら、やるべきことは、良い台を作ること。
今の幸せは、祖先が作ってくれた台の上に成るもの。
幸せならば台を固めるべし。
それが国のルール。
なんてね。
さて今日はこれからウィンドウショッピングでもしよーーっと♪