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2009/02/21

「孫娘からの質問状おじいちゃん戦争のことを教えて」

「孫娘からの質問状おじいちゃん戦争のことを教えて」
中條高徳 小学館文庫

1 The Beginning
 この本の中で特に考えさせられたところを、自らの考えと照らし合わせて考察をする。また結びには、その考察をもとにこれから何ができるのかを提案し、自分の行動に還元することとする。

2 Studies
(1)全般
 今回この本を読み、大変驚いたことがある。それはこの「おじいちゃん」こと中條高徳氏の考え方 は、既に自分が持ち合わせていたことである。これは自慢でも何でもない。私は戦争に関してあまり興味がなかった。そんな私が教育により、このような考え方を自然と身に付けていたことに驚きを感じているのだ。
 せっかく自分の祖父が戦争を経験していても、全く戦争について教えてもらわないまま育ってしまいがちな現代である。私の場合は1年に2、3度の帰省でしか祖父の顔を見なかったので、まさにその典型である。それでもこのような考えを持つことができるのは、素晴らしい教育がなされているおかげだと感謝するばかりである。
 しかし危倶するところは、目本人全体が戦争知識を得る機会をあまり持たないことである。事実私がこのような話をすれば、殆どの同級生が「そうだったんだ」と目を丸くする。一回りも二回りも年上の人からそのような返事を受けると、日本の将来が心配でならない。
 もちろんこの考え方が全てだとは思わない。しかしものの見方の一つとして、知っておいて当然の範疇のものだと思う。多数の考え方を知らずして、どのように戦争の考察ができよう。考察がなければ、ただ与えられた知識を使うのみである。すなわち、現代の日本人の多くが戦争についての考察を行っていないと言うことができるだろう。あのような大きな戦争を経験しているにも拘わらずだ。
 このように考察すると、戦後、日本がいかに教育の手を緩めたか、または緩めさせられたかを痛感せずにはいられない。私の願いは、この状態をいち早く回復することである。まずは自分がしっかりと学び、この回復の一助となれるよう尽くしたいと思う。

(2)陸軍士官学校教育
 まず、本の中で私が気になった、士官学校教育にまつわる言葉を取り上げてみる。特に軍人教育に関わる必要な要素であって、現代にない要素を本の中から取り上げてみる。「陸士に入り、軍人になることは、まったくの自然なことだった」、「近くの神杜に参拝する」、「近所の人が日の丸の小旗を振って見送る」、「一挙手一投足まで厳格な規律が行き渡った教育」、「慎独」、「武士道精神」、「女性は不浄な生き物(自分が乱れるという意味で)」、「ストイックの極致」、「公に殉じた行為を尊び、崇敬の念を表明する」、「天長節」、「軍人を育てるという明確な目的に貫かれた学校」である。このような考え方は「軍人教育に必要な要素だ」と思うことができても、真にその感性を持っているかというと、なかなか難しいものではないだろうか。
 私はたかが26歳であるが、今まで経験した団体戦で勝敗を分けたのは、詰まるところこのような感性を持ち合わせているかどうかだと思う。勝敗に関わる要素は非常に多岐にわたるが、その1つ1つを詰めることができるかどうかは、このような感性によると信じている。リーダーの能力が同じで、物理的力が拮抗している場合を考えれば分かりやすいであろう。緊迫した状況下で最後に力を振り絞ることができるのは、このような感性のおかげだ。良い悪いに関わらず、世のため人のためにと公利に尽くす心が、尊く最も強いことは自明のことである。つまり戦前のこの教育は、戦争という勝負ごとを考えた場合、非常に有用なものであったと考える。
 ここから考察すると、現代においては煙たがられてしまうこのような要素こそ、団体戦における勝利の鍵である。これは認めなければならない。精神論ばかりを重視してしまった点、軍令部が正しく機能しなかった点は、確かに失敗である。しかしそれだけの理由で、このような感性を自ら悪とし捨ててしまうことは、非常にもったいないものだと言えるだろう。
 
(3)失われしもの
 (2)と同じく、私の気になった言葉を取り上げてみる。これもまた理解はできるが、真の感性としてなかなか持ち合わせていないと思われるものである。「神は八百万」、「何とはなしにありがたい気持ちになり、畏れ慎むような心に染まる」、「天皇は日本人の心と一体化した精神的存在」「神道」、「日の丸」、「君が代」などである。私はどれもこれも美しい考えだと思う。これらの感性が失われていることは非常に残念なことである。
 しかしながら重要なことは、これらの感性が単に感受性や考え方を表すものではないことだ。私が考えるに、これらはまさにアイデンティティに基づく感性である。例えばこの感性をよく考えてみて欲しい。そのどれもが日本人しか持っていなかったものである。または逆に、日本人というものを想像してみて欲しい。思い浮かべるもの、その殆どがこうした感性に基づくものである。
 言わずもがな、これらの感性が失われるということは、アイデンティティが失われていることに同義である。本文中にも「どうして日本人はこんなになってしまったのだ」、「戦争蹟罪意識」「心におけるカルタゴの平和」とあるように、この失われしものこそ、戦後日本が失くした中で、最も大きなものであろう。作者に意見に沿うとともに、激しく回復を願うものである。

3 The Ending
 最近では核家族化が進み、地域杜会の繋がりも薄れ、個人個人が独立して生きているようにさえ思える。しかし個人の拠り所はやはり国である。世界の経済、情報、交通が目まぐるしく発展し交錯する中、自分の持つ身分の信用、貨幣の信用、情報の信用など、全ては国力により決まり、国が弱ければ何もできない。むしろ現代においた方が、国力の差が個人の生活に大きく影響する。昔のように地域がしっかりしているからといって、もしくは家族がしっかりしているからといって、人生が保障されるわけではない。生活単位は地域杜会から国家杜会へと移っているのだ。こんな時代だからこそ、国家というバックボーン、信用、アイデンティティが重要なのである。日本人は今こそ国のアイテンティティを見直さなくてはならない。
 よく「日本人は戦前よりも勤勉でなくなり、徳性を失い、愛国心を忘れた」と言われる。私も確かにそうだと思うが、では逆に、戦後、日本人のアイデンティティについて教育したことがあるのかと問いたい。日本が問題なのは、教育制度そのものが変化して、どんなに高度に知識を学ぶことができても人格の研鑽や国家アイデンイテイの確立を置き去りにしている点である。
 そこで提案する。これらの置き去りにしたものを取り戻すために、2で考察した「公に尽くす心」と「日本人の心」の教育制度があれば良いのではないか。もちろん今の私にはまだ何もできないが、この本を読んだことにより大きな構想はできた。この教育制度を最後に提案して結びとする。
 まずは「日本人の心」について。本文から言葉を借りて白分なりに言わせてもらう。自然を敬い、畏れ、あがめる。そこから生まれてくる感謝の念、敬虔で謙虚な心持ち、和を尊ぶあり方を教える。それが土台になって培われる規範、礼節、道徳。そういうもののトータルとしての日本人の心を教える。武道は必須の教育とする。
 次に「公に尽くす心」について。「日本人の心」が身に付き、自分の帰属する日本に対して誇りを持つことができたら、自然に養われると思う。補助的に武士道や騎士道を教える。
 これらの教育がいつか実現するよう、また日本人が誇り高い民族になるように、この本で得られた感性を持ち続けたいと思う。

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