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2009/03/07

永平寺における寺修行

題目:心の乱れを払う

概要:永平寺における寺修行から、心の乱れを払うことの大切さを考える

昨今のニュースを見ると心無い事件が数多くある。このような事件を見ると、最近の日本人は人間性が低くなってしまったのではないだろうかと感じる。また大きな事件だけでなく我々個人にとってみても、周りには少しおかしいと思うことが増えたように感じられる。このような人間性に関する問題を打破するべく、私の永平寺における寺修行の経験から「心の乱れを払う」ことの大切さを考えたい。

永平寺は福井県にある曹洞宗総本山であり、現在でも多くの僧侶が修行を行っている。永平寺はその宗風がとても厳しいことで有名で、雲水と呼ばれる修行僧の姿を見に年間100万を超える参拝者や観光客がある。学生であった私は、修学旅行気分でこの体験修行を楽しみにしていたが、実際は想像だにしない驚きがあった。

第1に生活の厳しさである。朝は3時起床。顔を洗う水は手のひら一杯。食事はご飯、味噌汁、沢庵、おかずが小さく盛られたもの。空いている時間は掃除か座禅。お風呂も10秒浸かればおしまい。挙句一切の私語を禁止され、常に雲水さんから激を飛ばされて、黙々と動くものであった。きっと軍人の素養を身に付けるのにぴったりである。

第2に雲水さんの強さである。最初の説明においては非常に丁寧な床対の雲水さんだが、一度入門するととても恐いお兄さんになる。高校生で反骨精神旺盛だった私は、私語をしたり、座禅の最中に笑いを誘おうとふざけたりしていた。しかしどうしようもない不良少年を扱ってきた雲水さんたちは強い。私は雲水さんにひっぱり出され、名物の雲水キックを貰った。武道の覚えがある私から見ても中々良い蹴りであった。自衛隊とかに向いているんじゃないかな、雲水さん。

さておき、私がこの修行で何を学んだのかというと、題目に同じ「心の乱れを払う」ことである。本来の目標は無念無想で己の中に仏'性を見出し、悟りを開くことなのであるが、それは無理であった。ただ、私語をしないことや座禅をすることを通じ、今までにないくらい白分の心と向き合って、いかに自分の心が散乱しているか思い知った。欲にまみれて汚い心、恐怖におびえて弱い心、私の中には正直そんなものしかなかった。修行が終わる頃には、心の乱れを払うことにより毒気が抜けて、顔つきまでも変わっていた。心が静かになって行動も大きく変わった次第である。

行動の乱れは心の乱れが原囚である。昨今の事件にはこのような心の乱れに原囚があると考える。現代では何でも簡単に手に入り、目の前に多くの白由がある。注意してくれる人も少ない。ともすれば心が非常に乱やすいだろう。そんな世だからこそ、一度立ち止まって自分を見つめ直し、心の乱れを払って貰いたいと考える。

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